『マティアス&マキシム』(Matthias et Maxime)感想
映画『マティアス&マキシム』(Matthias et Maxime)の感想です。
大阪ステーションシネマにて鑑賞しました。
グザヴィエ・ドラン監督、久々の主演作品でもあり、楽しみにしておりました。
滅茶苦茶感情的な映画でずっと色んなこと感じて忙しかっただなあ。
とても好きな映画でした。
とにかくsong for zulaの使い方がずるい🔥
ドラン映画、どの作品も少なくとも一曲は、この曲をこの映像と共に堪能させてくれてありがとうというのが私個人としてありまして。
song for zula、Netflixドラマの『ユニークライフ』シーズン3に出てきて、そこで初めて知ったんですが、なんでか分からないけどとても好きで今年ほぼ毎日聴いてた曲でした。
この曲がかかる中でのキスシーン。
言葉に出さなくてもお互い分かってる感じがたまらなく愛おしかった。
顔のあざにキスするの最高にロマンティック。
同じ場面で、大雨降ってきてみんなで急いで取り込む洗濯物、序盤らへんで映ってた赤と青で綺麗にグラデーションになってた洗濯物たちで合ってる...?
マティアスのオフィスにあった観葉植物といい、きめ細やかすぎるーー好きでしかない。
そして再びこの曲で迎えるラストシーン。
マティアスがもじもじしてるの、本当にもう🔥🔥言葉にならないです
この後の二人がどうなったかを書き切らずにスパッと終わる感じもとても好みでした。
マティアス、マキシム、どちらの二人にも感情移入して、感情がとんでもなくぐちゃぐちゃで1日経った今でもなかなか整理がつかない。
特にマキシムが今のわたしとわりと重なってて。
英語流暢に話せないのにとりあえず現状から脱却して何かをしたくて海外に行こうとするのとか、英語笑われてるシーン恥ずかしくて仕方なかったけどあそこで反発せずに一緒に笑うマキシム🔥なんて素敵な人なんでしょうか。
あとは、とにかくドランのお顔がとても好きなので!久々にドラン主演作品で嬉しかったーー!!!!!!!!!!!
キスシーンでマティアスと並ぶとマキシム演じるドランの小柄さが際立ってたの印象的。
『君の名前で僕を呼んで』に影響受けたとドラン自身が公言したらしいけど、所々、これはまさしくCMBYNのあのショットじゃん!ってなるところがあって、オタク歓喜です。
マティアスが序盤で湖?で泳いで、上がってきた時のあの斜め向きのショットとか完全にあのときのアーミーハマー!!!
と私は思ったのですが勝手なこじつけなんかな?
マティアスのデニムオンデニム、エリオみたいだったな。真似したい。
・顔のあざのくだり
・毎回描かれるお母さんとの関係
・ドランたちが大学生にバカにされてるくだり(ドランは私ら世代だっていう認識だったけど10才違うと確かにまた感覚違うよね)
・30才の友達関係
このスクワッドみ愛おしいな
・ケビンについて
・30才になって自分が何者かほぼ決まりそうな感じ
とかじっくり考えたいポイントがたくさんで頭が追いつかない。ゆっくり消化していこ。
言わずもがなですが、青と赤の服だったり小道具が入り混じってるのを追ってるだけでも楽しかった。
サントラ聴きながらパンフレット読む最高の週末🔥🔥
そして、大好きな映画だったからこそ、話題になってる宣伝方法についても言及しておきたくて。
詳しくは調べてもらいたいですが、漫画『溺れるナイフ』と今作のコラボ企画で、マティアスとマキシムという同性の二人の作品を、男女の二人に置き換えて書いたイラストを、配給会社のファントムフィルムが宣伝の一環として公開した件です。
私は『溺れるナイフ』を読んだことないし作者のこと知らないし、こんな企画になんで参加したんだって作者のことを責めたいとかではないのですが、
配給会社のファントムフィルムのことが信じられないというか...。
本当にこの映画観たのかな?
これが邦画の作品で起こったとしても怒りを感じますが、日本のテレビやエンタメでのマイノリティの散々な扱いを見ていたら、そりゃこうなってしまうかも、と思ってしまう。
けど、これがグザヴィエ・ドラン作品で、私も大好きな『君の名前で僕を読んで』や数々のマイノリティにフォーカスした名作を配給してきたファントムフィルムがこんなことをしたことがショックで。
誰も違和感を感じなかったのかな?
感じた人がいても、ちょっとこれはおかしくないですか!と言える環境じゃなかったんかな?
男女二人を同性二人に変えて表現することは逆にやってきたの?
なんだろう、例えばアジア人2人の物語を、白人&アジア人に変えられたら、そりゃおかしいでしょ!って普通なると思うんだけど。
もはやその次元は超えていて、性別とか関係ないから、異性カップルでも同性カップルでもいいでしょ?というスタンスなのかもしれないとも思ったんですが、
そうだとしたらその意図は全然上手く伝わってないし。今の日本でそれをするならば、違う風に捉えられるかもっていうことも踏まえて、より丁寧に意図を説明してプロモーションしてほしかった。こんな形で大好きな作品に傷をつけてほしくないので。
後日、ファントムフィルムが謝罪文を出してましたが、よく見かけるような全く誠意のこもってない謝罪を、大好きな映画の配給会社がしてることが残念でした。
せっかく好きな作品に出会っても、日本公開時のキャッチコピーだとかポスターの切り取り方だとかのプロモーションにモヤモヤすることが多くて、その度に落ち込んでしまいます。
(もちろん一人でも多くの人に観に来てもらわなきゃいけないから、多くの日本人に響くものにするというのも分かるのですが、にしても作品本来のメッセージを踏み躙るようなものもあって悲しいです。)
今週、ノーラン作品の字幕担当でお馴染みのアンゼたかしさんの翻訳への指摘もTwitterで話題になってて、それについても考えてたら辛くなってしまったのですが、それはまた別でブログ書こうと思います。