『マット・シェパードは私の友達』(Matt Shepard Is a Friend of Mine) 感想
ドキュメンタリー映画『マットシェパードは私の友達』(Matt Shepard Is a Friend of Mine)の感想
Netflixで観ました。
※ネタバレあります。
アメリカの田舎で、同性愛を理由に男二人組に暴行されて亡くなった二十一歳のマットシェパード。彼の周りの人が、彼の普段の姿、本来の姿を世間に伝えたいと作ったドキュメンタリー映画。
これを観たら、マットは本当にみんなから愛されていたんだなあと。
死に方が凄惨すぎて、それがニュースになりアメリカでは有名になったけど、そこではなくてマット自身についてもっと知ってほしいと周りの人が動いているのって素敵。
私が今死んだら、世間的にはただのどこにでもいる21歳の女子大生が亡くなった話になるけど、私を知る人にとっては全然違う話だもんね。というか全然違うことを祈ります。
ありふれた人に聞こえたとしても、何百人亡くなったうちの一人であっても、その一人一人にはそれまでの人生があって、その人を愛する人がいて、と思うと色々やりきれない気持ちになります。
『この世界の片隅に』を観たときの気持ちにちょっと近い。
同性愛だけに関わらず、人種とか見た目が違うだけで、人を殺したり、わざわざその被害者のお葬式まで出向いてデモを起こして憎しみを露わにしたり、どうしてそんなことするのか全く分からない。
人と違うことを恐れてるのは、ただの臆病者。
自分の子供や友達が同じ目にあったらどうするんだろう、本当に怒りしかない。
マットに素敵な友達と先生と最高の両親がいたことが唯一の救い。
いつになったら誰もが好きなことを好きと言え、自分に胸を張って、好きなように生きれる世界になるの?
わたしが生きているうちは無理そうだ。
アメリカは大好きな国でもあるけど、こういう過激な保守的な人たちを思い出すととても理解し難いです。
誰を好きかどうか、生まれた国がどこか、何色の肌かでなんてジャッジしないで。
愛する息子を殺されたのにも関わらず、マットの両親が寛大で。
両親が「自分の息子はクリスマスや感謝祭をもう経験できないんだから、あなたが代わりにしてあげて。その度にマットはもうこんなこと出来ないってことを思い出してね。」って、犯人二人に出てた死刑判決に反対して、結局死刑は撤回されたみたい。
この二人ほど強く逞しい人は存在するのかなあ。