I'm too lazy to stop being lazy

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『82年生まれ、キム・ジヨン』感想

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』の感想です。

ネタバレ、というか原作との違いについて言及してます。

 

MOVIX京都にて鑑賞しました。

 

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感じたこと全部書くことで脳内整理したかったのと、この映画のレビューで、「ここまでの差別は今の日本にはないと思うけど」的な言葉をちらほら見かけて絶望したので、1人でも見てくれる人がいるなら、私に起きたことを全部書いておいて、この地獄は確かに今も存在するんやと伝えたいので超絶長文です。

 

1万字弱あるのでそれでも良いという方いらっしゃれば、どうぞお付き合いください。

 

 


⚪️まず映画と原作の違いについて

 

原作本買ったのはちょうど一年前くらい。同世代の女性の中では性差別の存在に敏感である/問題視している方だと自認していたのに、そんな自分でも気づけてなかった根深い差別の現れに深く傷つくと同時に、差別を可視化して認めることで、気づいてない部分でまで差別を受けてきた私に寄り添ってくれる優しさを原作からは感じた。

 

ラストの男性医師から与えられる、この地獄はまだまだ続いていくんだという絶望感も大切だった。

 

女性が大統領になるという希望を描いてくれた映画『ロングショット』が私は今年一番好きなんですが、そうやって現実ではそう上手くいかなくてもこうなればいいという理想を描くことが与えてくれる力の大切さを最近痛感している(現実とは遠すぎて想像すらできなかったことを理想として描いてくれることでそこに近づこうと思えるし、可視化されたその希望が励みになるので)。

 

一方で、本作の原作は、今私が生きている地獄をそのまま描いてて。その辛さを認めてくれてて。ラストの医師のセリフで、まだまだ地獄は続くんやと絶望はするものの、実生活でも全然この地獄から抜け出せる気がしないと心が折れることが何回もあったので、その切れ味凄まじいラストにすることで私が地獄は続くと感じた事実を認めてくれる優しさを私は感じた。

 

きっと同じように捉えてた人が沢山いて。だからこそ原作と映画の違い(他にもたくさんあるけど特にラストの改変について)に戸惑う声を鑑賞前からたくさん見聞きして。

 

反対派が多かったんですが、印象に残ってたのがまだ映画公開前の時期に、試写会で先に鑑賞した宇垣アナウンサーの「一見ソフトに見えるが故、地獄性が増している」というコメント。

これがずっとどういう意味なのか考えてて
気になって予習のためにと鑑賞前にアトロクの宇多丸氏のレビューを聞きました。

 

以下、印象的だった点

 

・原作の2016→映画化2019の間に、#metoo運動が盛んになったり、原作への反響が大きく、原作発売時点から映画制作時に起こった変化を描きたかったのでは?という予想

 

・「ジヨンがこんな状態になるまで傷ついててしまったのは夫や周りの人が悪い人だったからという訳はなく、社会のシステム自体のせい」

ということを印象付けるために夫の描き方を変えることを監督と夫役のコン・ユが話し合いの上決めたというエピソード

 

・良い人風で理解してる風の人(夫)からでる、全然分かってない発言。育児を手伝う?!?!?育児は休み?!?!?だからこその地獄み。

 

・パンフレットで山内マリコさんがラストの改変の捉え方について述べている

 

これを踏まえて観に行った結果、映画版嫌いにはなれないし、応援したいかもしれない...となりました。

 


まず宇垣アナが言ってた「一見ソフトに見えるが故、地獄性が増している」という点。

宇垣アナがどんな意図で言ったことなのか未だに分かってはいないですが、
希望が持てるラストにしたことによって、現実になかなか希望が抱けてない私の気持ちに寄り添わないまま、根本的な解決には至ってないまま、ドーンと希望を提示することの暴力性を感じて、原作を読んだものだからこそ感じる地獄は存在するな...と思いました。

 

韓国に存在する兵役が、より女性と男性の溝を深くしてる点が映画では省かれてたのも気になったし。

男性にだけ兵役があるのは女性のせいではなく、家父長制のせいなので、女性も男性も同じものによって苦しめられてるんやけど、フェミニズムとは男性ではなくその風習を戦ってるんやと、男性サイドも気づいてくれたらなあ。同じものに傷つくもの同士であるはずやのに。

 

冒頭の夫の実家に帰省する際、同じ女性であり妻であるという立場な夫の姉妹がジヨンに向かってあの発言をすることの地獄みがあったものが、夫の発言に切り替わってたのも気になったけど、

「原作の読者にはもう伝わってるものとして、いまだ伝わってない大勢に向けて思い切って別のアプローチをしているのでは」というパンフレットでの山内さんのコラムを読んで、とても腑に落ちた。

 

もちろん原作ファンが観たかったものも作ってほしかったけど、まだまだ現状が伝わっていない世の中の大多数な人向けに見やすく分かりやすく改変することで、この映画を観てもらい、気づいてもらい、原作を読んでもらい、より辛い地獄を味わってもらうことを優先したいなあと。それがどこかの女性が少しでも生きやすい環境になって、世の中が変わることに繋がればいい。

し、そのためならばこの映画を応援したいなあと私は思う。

 


⚪️題材である性差別について 

 

キムジヨンに起こることって、残念だけどほとんど体験してる気がする。

 

女の子だから大人しくしなさい、女の子だからお金持ちのお嫁にいけばいい、女の子だから笑っていればいい。
全部数えきれないほど言われてきた。

 

そんな言葉をかけてくる人たちは別に意地悪で言ってるとかでもなく、何なら善意で言ってくれてるところが怖いなといつも思う。

 

大好きだったアルバイト先の最終勤務日、ずっとよくしてくれていた社員のおじさんに、「◯◯さんは優秀だから、会社に入ったらちょっと手抜くくらいにしたほうがいいよ。あんまり女性が優秀だと、可愛げがなくて男性に怖がられるからね。」と言われたこともあった。

 

 

就活中のことも思い出した。

 

女性差別するような会社には絶対に行きたくないからと説明会では、「先程女性が活躍できる会社だと仰られていましたが、実際◯◯の部署での女性と男性の割合はどのくらいですか?」と毎回のように質問していた。「多様性が〜」とか雄弁に語ってた会社ほど、質問に戸惑ってて、しっかりしろやと思う反面、一応多様性を取り上げたほうがいいんじゃないか?と気づいた会社でさえこんなレベルでまだまだなんやなと傷ついた。

 

ある会社で同じ質問をしたら「俺がいる部署はすごい大変で難しい仕事やから、女性はほとんどおらんね笑」と笑われて、深く傷ついた。説明会に登場するような現役社員って、一応会社がこの人なら前に出してもいいんじゃって認めた人材であるはずなのに、選びに選んだのがこいつかよ。会社の顔がこんなレベルかよ。って本当に絶望した。

 

この出来事は信頼していたゼミの先生(男性)に話したら、一緒に怒ってくれて、いつもは丁寧な言葉使いである先生が過激な言葉を選んで、怒りを表現してて、それに励まされたし、その時に当事者じゃなくてもここまで寄り添ってくれる男性もいることを実感した。

 

就活サイトやイベントで、「女性が活躍できる会社特集」が存在することにも絶望した。作り手の、少しでも女性が働きやすい方向へ進めるようにしようとしてる意図は分かるし、実際今の現状としてそういった括りをしてくれないと、女性の働きやすさを向上するために動いている会社が全然見つからないので必要としてるんだけど、そのこと自体が悔しい。

つまり、その括りに入っていない99%の会社では女性は活躍できないってことですよね。揚げ足を取ろうとしてるのではない。

 

就活中、そのカテゴライズを見るたびに傷ついてた人がいるということ、気づいてくれてた男性はどのくらいいるんだろう。

 


就職後、男性ばかりの課に1人だけの女性として配属になり、毎日ずっとモヤモヤしていた。

 

職場でのセクハラはなかったけど、女性に対する性的欲求を私の前で隠そうとしないところや、「女性っぽい」っていう言葉を悪口として使うところ、私が差別発言に目を光られせてるのをおそらく知ってた上司が、毎回女性社員の特性を説明するのに「これは差別ってわけではないことを分かってな?」っていう前置きをつけてから、女性社員を一括りにして話すところ。

 

その人たちがとことん嫌な人なら諦めきれてたのやろうけど、そうではない普通な人たちであることがより地獄みを増してた。ので、この映画の登場人物と結構被った。

 

自分が頑張りたいだけなのに、なにかと「女性の活躍」を背負わされて、自分でも進んで背負ってしまうところもあって、「女性でも男性の営業と変わらずここまでできるって示していけば良いよ」という上司のわかってるようでわかってない言葉もあり。その点に関しては、こっちに頑張りを求めるのではなく、あなた方が無意識のうちに女性の社会進出を拒むことをやめるのを頑張らなければいけないのや。

 

ジヨンの会社の女性リーダーが、重役っぽい男性にとんでもない性差別発言をされた際、ある程度は反抗するんやけども、ぎりぎりのラインで相手に合わせるほうにシフトして、おちゃらけることで自分の怒りよりもその場の空気や仕事上の立場を優先させるの、私も何回もやってきた。本当に悔しい。どうせ、ちょっとどうしちゃったの〜!!笑 くらいにしか思われてなかったんやろな。表面上は作り笑いでも脳内では罵詈雑言飛んでたよ。

 


ここまでの事柄でも十分に今でも怒りを感じるんやけど、それだけではなくて痴漢・盗撮の性犯罪の被害にも遭った。

 

ちなみにほんまにここ分かってない人間多すぎて心折れるのですが、痴漢はセクハラでもなんでもなく、性犯罪やからね?!?犯罪なんで。

 

あと、性差別が可視化されてきたことは良いことやけど、セクハラという言葉が先行してしまってる感というか、セクハラというととても軽く感じる。「それセクハラやで〜笑」って戯れあってる男性社員結構見たしな。何がおもろいんや?説明してくれ


ジヨンが男性に追いかけられるバスのシーン。
同じようなこと何回もされてて、それがフラッシュバックして号泣した。

 

電車内でやたらとこっち見てくる男性二人組いるな、勘違いかもしれないけど怖いからさっさと降りようと、ドア開いた瞬間走って改札に向かったら、走って追いかけられた。

 

中学の頃、通学路で、無視してるのに私の体つきについてあれこれ一方的に語ってきて、勝手に手を掴まれて。そこから数日ずっと待ち伏せされてた。怖くて友達に話したら、今度そいつ見かけたら私にすぐ電話して!話してるだけで安心やろ?って言ってくれた友達頼もしかったな。その友達の優しさがあの追いかけてきてくれたスカーフの女性の姿に重なって泣いてしまった。

 

駅ですれ違いざまに胸を触られたとき、一緒にいたのが父親で。娘が性欲の対象にされてる、性犯罪に遭ってると知られるのが怖くて、言えなかった。

 

制服でプリクラの落書きをしてたとき、スカートの近くにケータイを持った腕が伸びてて。盗撮!と気づいて走って追いかけたけど追い付かず。警察呼んでもらったんだけど、友達ではなく私が盗撮されたのに、どっちが被害にあったのか確認せず、私よりスタイル良くて目が大きくて可愛らしい友達が被害に遭った前提で話が進んでて、二重で傷ついた。

 

小学生の頃、塾の男性教師にいつも体のことをあれこれ聞かれたしじろじろ見られてた&「◯◯ちゃんは胸は大きいけどくびれがあって良いよね」と直接言われた。

 

直接的な被害じゃないけど、高校生の頃、断ったのに少しだけだからって無理やりTVの街頭インタビュー受けたことがあって。「夜、1人で道を歩く時、女性として気をつけてる事は?」って質問をされたので「怖いからイヤホンで好きな音楽聴いてます」って答えたら、「それって周りの音聞こえないからから余計に危なくないですか?」と言われ、「あぁ、そうですかね...」となって。

 

私は見てないんですが、その後ニュース番組の「夜道で女性を襲う危険」的な特集で、全然用心できてない人の例としてVTRで使われてたという話を見た人から聞いて、ずっと言語化できないモヤモヤがあったんですが、

なぜ被害に遭う側の女性が気をつけないといけないんですか??とこの数年で気づいた。

 

けど私がこう思ったからって被害に遭わなくなる訳ではなく。

 

私の母親は小さい頃から大人っぽくて成長も早かったからか、性的な目で見られることが多かったらしく。だから余計に娘のことが心配みたいで。

 

こんなこと言うと結構ひかれるのですが今でも夜に帰宅する時は最寄り駅まで必ず父親が車で迎えにきてくれる。それができない時はタクシーに乗って帰りなさいと口うるさく毎回言われるし、夜中に1人で歩いて帰ってきたことが親にバレると未だに怒られて喧嘩になる。

 

なのでありがたいことに夜道を1人で歩くことが少ないんですが、たまに歩くと本当に怖くて、誰もいなくてもどこかに潜んでるかもしれないので、周りに誰も見当たらない時は大体iPhoneから曲流して歌いながら帰るか、鞄を振り回すとかして、こっちがやばい奴を演じることで簡単には近づかれないようにしようとしてる。このことを前に話したら結構あるあるだったみたいなんですが、こんなことまでして対策していること、気づいてる男性は何人いるんやろう。

 

それを知った上でも、今はここまで酷い事は起きてないよーとか言えてしまうんかな。

自分が気づいていなくても、こういうことが実際起こってるかもしれない、こんな警戒をしている人が身近にいるかもしれないと想像できる側の人間に私はなりたいなあとつくづく思った。


ジヨンがお父さんに服装気をつけろと怒られてたのと一緒で、世の中は男性にそんなことするなと言う代わりに女性に自衛を求めていることのおかしさに気づいてくれ。

 

あと、この際全部書いちゃいますが、道で一向に譲ろうとしやんかったり、わざとぶつかってくる人は何ですか?同じ事男性にもしてるんですか?
私が大柄な男性なら絶対避けてたよな、と毎回悔しい思いをする。見た目で選んでるとしか思えない。

 

そんなところにも傷ついてる人がいるってことをこの映画を見た男性陣は気づいてくれたんかな?

 


前に座ってた中年男性。私にとってはジヨンの地獄は私が体験してきた地獄でもあるので、ずっと辛くて仕方なくて泣きながら観てたんやけど、その男性は5分に一回のペースでけらけら笑ってて。私はそれどころではないからそのシーンが面白いのかどうかなんて毎回分からなかったし、その人の感じ方を否定したいわけではないんやけども、同じものを同時に見ているはずやのに見え方が全く違うんやなと痛感した。

そんなに頻繁に笑う余裕は少なくとも私にはなかった。

 

 

あと、アトロクの今作レビュー回のオープニングで。某男性アナウンサー(アトロク出演者は宇多丸氏初めあらゆる方向に配慮した発言をしてることがひしひしと伝わってくるから信頼できるし好きやねんけど、その男性アナの発言で詳細忘れたけど以前ドン引きしたことがあったのでもともと好きではない)が、

滅茶苦茶突き刺さりましたーーー!って言うから、ほんまに!男性にも響いたんや!と一瞬希望を抱いたら、

一番うわぁってなったのが子供の頃親の実家に帰省した時のあの親戚のピリッと感!子供ながらに感じてましたー!!と騒いでて。


全く伝わってないやんと絶望した。

 

同じことを思ったのか宇多丸氏が原作本をすかさず勧めてくれてたんやけど、彼は本を読んで気づいてくれるんやろうか。

 

気づいてくれないと、ここまで原作から大きく方向を変えてまで間口を広くした作品にした意味がなくなってしまうので、気づいて欲しい。

 

⚪️翌日RBGドキュメンタリーを観た


先週末はフェミニズムについてより考えたくて、今作を観た翌日に先月亡くなられたアメリカの最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)のドキュメンタリーを観に行った。

 

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キムジヨンで頭が大荒れな中で見たので感情がぐちゃぐちゃだったんですが、続けて見れて良かったなあと。

 

『82年生まれ、キムジヨン』という作品は、原作、映画共に、もはや当たり前すぎて気づかなかったくらい日常に浸透してしまってる性差別に焦点を当てることで、差別の根深さを知ってもらい、一人一人の意識を変えることのできるものだと思うのですが

RBGのドキュメンタリーからRBGの活動を見ていると、キムジヨンと目指すところは同じだけども、アプローチが全然違うなあと。

 

どちらのアプローチも必要やと私は思う。


ルースは自分の得意分野である法の世界で男女平等な社会を実現するために注力し続けた。

(女性優位な世界にしたいのかと勘違いされそうなので、書いとくけど、性別という要素だけで、男だから女だからという理由だけで機会が奪われている現状をRBGは変えるために活動してた。良かったら映画『ビリーブ』見て下さい🙏)


その結果、性差別的な法律をいくつも変えることができて、社会システムに少しずつだけど変化を起こした。

 

一人一人が差別の実態と向き合って考えることも大切だし、それだけでなく社会の構造自体をどうにか変えていくことも必要不可欠だし、全然異なる方向からのアプローチだけど、この二つの方法で挟むように動いていくのが、性差別然り、他の差別の問題を解決する糸口の一つなのかもしれないなあと。

 

ルースは最高裁の判事になる前は弁護士として主に性差別に纏わる案件を扱ったんですが、職場や学校での性差別に気付いた女性、男性たちが声を上げてルースの協力のもと裁判を起こして闘っていく姿もドキュメンタリーには映ってて。

 

キムジヨンのように、毎日毎日性差別に遭い、気付かぬうちに心がすり減ってしまってしまって声を上げることのできない人もいるので、私は自分が声を上げれるなら、ジヨンのような人のためにも声を上げようと改めて思いました。

 

闘うことってとても大切やと思うけどそれができるほどの気力が残ってない人もいるやろうし、他人に闘うべきやと強要もしたくない。けど、私は勝手にやけどその人たちの分まで闘いたいんよな。

 

 

⚪️もはや映画関係ないけどこの際言いたいこと

 

本作では上がりきってなかったけど、他にも無意識のうちに日常に溶け込んでる性差別を感じて打ちのめされることが私にはほぼ毎日ある。

日本のテレビをはじめとするメディアです。


お昼の番組では、料理が苦手な女性タレントが料理に奮闘する姿を、男性タレントが笑いながらジャッジする。


バラエティでは、目の前にいる女性タレントに向かって性欲むき出しな発言を男性タレントがする。


トーク番組では、子供がいる女性タレントには育児と家事の両立について尋ねるのに、男性タレントには同じ質問はしない。

 

男性が育児を"手伝う"と、イクメンと持て囃される。


今も鮮明に覚えてるのが、はじめてのおつかいで女の子が3人と男の子1人の4人兄弟が登場して。

みんな、お母さんから離れるのが寂しくて泣いてしまうんですが、ナレーションが女の子が泣いてる時は同情的なのに、男の子が泣いた時だけ「男の子なんだから泣くなよ!」っていう言葉で。

こんな小さい時から"男らしさ"を植え付けられるんやと悲しかった。


あと、女性芸人のお笑いコンテスト番組に松本人志が審査員として出てたんですが、

「女性芸人に、ここは負けるな〜と思うことはありますか?」との質問に、「男は枕営業できないですからね」って答えてて。


ネタやから!で済まされることではないと思うんですが、全くネットニュースにもならず普通にスルーされていて、勝手に傷ついた。


岡村隆史のラジオでの発言も同様。本人は謝罪されてたけど、それよりもあの発言を擁護してたり、あの発言を批判する人間を頭おかしいと批判してる男性ファンが本当に怖かった。


あの発言後、実際私の勤務していた会社はコロナの影響を大きく受けてしまい、私は仕事を辞めることになった。

 

私のような女性が仕事を失って風俗で働くことを望んでる人が世の中には存在するんや、私がこうなって喜んでる人が存在するんやと思ったら、あまりにも悲しくて、これを書いてる今、また泣いてしまった。


こういうところにも傷つく人はいるんやと気づいてくれる人はどのくらいいるんやろうか。

 

 

⚪️その他もろもろ

 

他の方のレビューを拝見してると、この映画の夫のことを優しくて素敵な人、理解のある人、ジヨンはこんな夫がいて良かったと捉えている人がちらほらいて。

 

悪い人でないことで、「この人が性格悪いから」と片付けてしまうことが出来ないところが、より地獄みを増してるんやし、あの夫は確かに他の男性に比べたら妻に協力的だけど、ジヨンの息苦しさを理解しきれてないのに理解してると思ってるところが怖いし、それこそが問題なんやけどなあと思ったりする。


あとフェミニストフェミニズムという言葉の印象の悪さにも悲しくなる。

しつこく言うけど、男性から権利を奪おうとしてるのではなく、女性の前にある壁を排除して男性と肩を並べようとしている。また、決して女性を優遇してほしいという話ではなくて、社会に出るにあたって、「女性だから」という理由で機会が奪われてしまってることが残念ながらあるので、そこを改善したいという話です。

 

その「女性だから」を突き詰めていくと家父長制に突き当たって、家父長制のせいで男性も苦しんでる。(男だから強くないと、男は稼がないと、男は女を守らないと、とか)

男女ともに性別のカテゴライズで人をジャッジするのはもうやめにしないですか?

 

大好きな作家アディーチェのWe should all be feministsという言葉を。

 

とかこれまで散々偉そうに語ってきたけど、私もここ数年でこの問題について意識的になっただけで、今までずっと女の子に対しても男の子に対しても性差別的な発言をしていたんだろうなあといつも思う。し、今だって知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまっていると思う。

 

性別やジェンダーに関することでなくても、他の人の痛みに寄り添うことは今までできてなかったなと恥ずかしくなる。


「優しさとは他人に丁寧に向き合うことでは?」ってあるアイドルの人がこないだ言ってて、とても腑に落ちた。

 

他の人にじっくりとことん向き合って、その人の気持ちを想像したり、一緒になって悩むっていう、文字にすると恥ずかしくなっちゃうくらい当たり前なことがやっぱり大切よなと最近思います。

 

こっちが想像して浮かんだことが必ずしもその人が本当に感じてることではないので、決めつけるのは良くないけど、それでもやっぱり他人の気持ちを想像してみて自分で考えるという基本的なことは大切やし、その姿勢は常に持っておきたい。

 

 

本当に長いしまとまりのない文章なのに、もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃれば、本当にありがとうございました!!!