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『パピチャ 未来へのランウェイ』(Papicha) 感想

『パピチャ 未来へのランウェイ』(Papicha)の感想です。

 

京都シネマにて鑑賞しました。

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自分があの主人公の立場だったらどんな行動を取ってたんだろうか。

 

女性は家にいればいい、女性はこんな格好するな、女性は露出をするな、とかいう考えもだし、その考えを辿ると行き着く家父長制だったり男性至上主義に私は抵抗してるので
(いちいち括弧書きしなきゃいけないことにも疲れてきたけど、女性優位という意味じゃないので。性別という要素だけで選択肢が限られてしまう現状に怒ってる)

同じことに抵抗する主人公の気持ちには共感してるつもりだったし、

 

レイプ未遂のことが起きた際、助けてくれた男性からも夜遅くに出歩くのが悪いと責められたり、普通に歩いてるだけで男性から絡まれて性的なことを言われたり(本人は軽いナンパなつもりなんだろうけど、見知らぬ人から性的な目で見ていることを直接伝えられることの恐怖を知らないんだろうな)、そういうことも今の日本でもまだまだ残念ながら当たり前だし、
最初は彼女に自分を重ねてみていたのですが、
徐々に私と彼女を取り巻く状況があまりにも違うことを知って。

 

90年代のアルジェリアについて何も知らなかったんですが、イスラム原理主義団体によるテロが多発してて、彼女の生活圏内でもテロが起こって毎日のように人が殺されてるし、ジャーナリストだった彼女の姉も玄関先で銃で撃たれ殺されてしまった。

街中では銃を持った人たちが普通に存在するし、彼女に女性なんだからヒジャブを被れと強制してくる人々も銃を持ってるし、「死にたくなければヒジャブをかぶれ」と言う言葉が当たり前に発せられる。

死と隣り合わせな状況でも、私は彼女と同じように抵抗できるんだろうか。できないと思う。悔しくてたまらないけど、自分の身を守るためヒジャブを被って体のラインが出ないような服を着るだろうし、安全のためファッションショーも中止にして諦めると思う。

 

Silence is violenceという言葉が意味するところはわかってるつもりやし、強く共感するけど、こんな状況下で声を上げることの難しさや恐ろしさを改めて感じた。

なんであんなにも勇敢なんやろうか、こんなにも力強い主人公やからこそファッションショーを実現できたんやね。ほんの少しではあるけど報われてよかったね...希望はあるんやね...とショーのシーン観ながら思ってる中、

そこにも突然武装集団が乗り込んできて銃撃が行われ、その場にいた大勢が撃ち殺されて、彼女に協力したいとショーに参加してくれた友人も殺されてしまった。

 

これをどうやって受け止めたらいいのかわからんくて。

 

映画では最後、生き残った別の友人と再会して。その子は兄に決められた将来の夫がいるけど他の相手との子供を妊娠していて、兄に殺されるかもしれないので(そんな大袈裟な!となるかもしれないけど、本当にあり得ることだと思うし似たようなニュースを何度か見かけた)家に戻れないんですが、主人公のお母さんがあなたもうちの家族だよって一緒に暮らそうと受け入れてくれて。
そのお腹にいる子がおそらく女の子だろうというところで終わるのですが。

 

監督は「希望の生まれるラストをポジティブに捉えてもらえたら嬉しいです」と言ってるものの、私はこれは希望なのかどうか分からんくて、というかこれを希望とはなかなか捉えられなくて1日経った今も考えてます。

 

監督には90年代のアルジェリアの同じような状況で暮らしててその後フランスへ逃れた経緯があり、自分の姿を今作の主人公に投影してるそうで、本人が言うからにはこれは希望なんやろうなあと思うんやけど、あまりにも絶望が大きすぎて、これをどうポジティブに捉えたらいいのかわからない。捉えたいんやけども。

 

私も現状を未来には絶対受け継ぎたくないんやけど、この映画みたいな状況下で何ができたんやろうか。ネジュマは少なくともあの学校でファッションショーに参加したり観にきてた少女には希望は与えられてたんやろうけど、その行動が原因で大勢が殺されるわけで。これが正解!とかいうものはないと思うけど、根本的な解決に向かうにはどう行動したらいいんやろうか。常に殺される危険がある状況で。

 

ただ、このネジュマという主人公は活動家ではないけど抵抗している、と監督が言ってて、私も何か大きな活動はできてなくても抵抗はしてるつもりやしこれからもしていきたいなと思う。優しい言葉やなあ。どんな活動をしなくちゃいけないんだろうとずっと悩んでたのでこの考え方に救われました。

 

パンフレットに当時のアルジェリアについての解説もあって非常に参考になりました。イスラム原理主義団体が何で生まれてしまったのかの経緯も説明されてて、
正直パンフレット読む前は彼らのことが全く理解できなかったんですが、それを読んでると確かにこうならざるを得ない人もいたかもしれないと思えて、こんなにもパンフレット読む前と読む後で捉え方が変わる映画があるんだ、つまり少しの知識があるかどうかでものの見方ってこんなにも変わるんだと痛感しました。

 

あと知識がないからこそ無意識のうちに理解を諦めて、「これは悪」と決めつけてしまってることっていくらでもあるやろうなあと。もっと色んなことを勉強したいです。無知の知と言って正しいのかわからんけど、この段階で気づけてよかった。


自分の圧倒的な知識不足が身に染みたけど、おそらくこの映画に出会ってなかったらアルジェリアという国について考える機会はなかったし、この映画に出会えて本当によかった。
実際に起こってる問題について映画を作るだけでその問題が解決することってなかなかないけど、問題に向き合うきっかけにはなるし、多くの人に訴えかけるパワーはあると思うし、こういった映画をどんどん観ていきたいな。

 

テーマや映画内の状況もやし、海のシーンのきらきらした感じとかも含めて、裸足の季節を思い出した。あの映画も今作もあまりにも重たいので中々もう一回見よう!とはならないけど、巡り会えてよかったしずっと覚えてると思う。
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アルジェリアが舞台の映画を日本の映画館で見れることに文化の豊かさを感じれたし配給会社の皆さんありがとうございました!!!!!!!!!!!

パンフレットも内容はもちろんのこと装丁やデザインまで最高でした。

 

こういう映画こそTOHOとかメジャーなシネコンでも上映して欲しいなあと思うけど、そうはいかないよね。一人でも多くの人に届くことを祈ってます。